東日本大震災により全町民が避難ーー「ゼロからのまちづくり」が進む福島県⼤熊町
東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の原発災害で甚大な被害を受けた「福島県双葉郡大熊町」が、官民を挙げた復興に向けた数々の施策により全国各地から若年層を中心とする移住者が増加している。
大熊町とは
福島県浜通り地方中部に位置する大熊町一帯は、北関東と南東北を結ぶ回廊として古くから物流・人流の往来の活発な地域で、現在はJR常磐線、常磐自動車道、国道6号が町内を南北に貫く。大熊町は、1954年に大野村と熊町村の合併により誕生したもので、その名残で現在も大熊町の代表駅は旧大野村の代表駅として命名された大野駅のまま存置されている。農業が主産業だったこの一帯の産業構造だが、東京電力福島第一原子力発電所の供用開始により安定雇用が創出されるとともに、補助金による財政安定によりインフラの整備が急速に進んでいった。
バブル崩壊後も順調な発展基調にあった大熊町だが、2011年3月の東日本大震災による被災により運命は暗転。東京電力福島第一原子力発電所は電源喪失によるメルトダウンを引き起こし、結果として町全域が「避難指示区域」および「警戒区域」となり、全町民 11,505 ⼈が町外への避難生活を余儀なくされた。その後、除染の進展や放射性物質の減少により空気中の放射線量は段階的に減少、これを受け政府は震災から 8 年後の 2019年に⼀部避難指示を解除、2022 年には町の中心地区の避難指示も解除。これにより、福島県中通りや会津への長期避難を余儀なくされていた大熊町民の帰還事業が開始された。だが、震災から10年以上を経て避難地で生活の拠点が確立している住民も少なくなく、町民の帰還のペースは町の当初想定よりも大きく遅れることとなった。
そこで、大熊町は新たな産業の創出、人材・企業等の交流を活性化する仕組み、移住者支援制度の充実などにより、旧町民の帰還と新住民の流入に活路を見出すこととなった。現時点の大熊町の人口の8割近くはこのような外部からの移住者によって占められている。
新たな産業の創出「大熊インキュベーションセンター」

その後、大熊町の人材交流のコア施設として2022年4月に新設されたのが「大熊インキュベーションセンター」である。旧・町立大野小学校の施設を転用・再生して開設されたこの施設は、産業を長期にわたり生み出し続ける「インキュベーション」に資する場として設置。コワーキングスペース、ミーディングスペースなどが安価で利用でき、ベンチャー事業者による産業の創出に大きく貢献している。
研究・開発の場として提供されたこの施設は、将来的な事業化、町内への事業所・工場立地に向けたステップアップをバックアップすることも目的としており、これに呼応したシェアリング、デジタル、半導体、小型EV商用車事業、ドローン、再生エネルギーなどの先進企業が多数入居している。施設内には無人で利用できる売店や、洗練された都会的なフリースペースなども設置されており、入居企業の利便性が確保されている。


入居企業の従業員は関東や南東北などの出身者が多いが、大熊町一帯の交通アクセスが良好であること、インキュベーションセンターをはじめとするビジネス創出の場が充実していること、町の住宅政策が充実していることなどから、この地での創業・勤務を決意した者も少なくないという。多くが20~30代で、大熊町の持続的な発展に寄与する「金の卵」として期待が集まる。

現役大学生2名によって操業された株式会社ReFruitsもその一つ。町内でキウイを再生させる「おおくまキウイ再生クラブ」が取り組んできたかつての特産品キウイ栽培の再生の理念に共鳴し2023年10月に事業を開始した。大熊町はもともと「フルーツの里」として知られていたが、震災から長らく耕作地が放棄されたことから荒廃、その再生は急務となっていた。
株式会社ReFruitsの代表、原口拓也氏、取締役の阿部翔太郎氏も、キウイと大熊町の魅力にひかれたことから、この地での起業を決意したという。ニュージーランド型の収益性の高い作付けを目指しており、2026年頃からの収穫を目指しているという。さらに、キウイ畑について、農業体験を通して大熊町の歴史や文化に触れてもらえるような場所にすることを目指し、その先には大熊町で就農する人を増やしたいそうだ。彼らの活動が、大熊町が最高のフルーツ産地であることを証明していくことになる。
12 年ぶりに再開した教育施設「⼤熊町⽴学び舎ゆめの森」

大川原地区には2023年4月に教育施設「⼤熊町⽴学び舎ゆめの森」が開校し、帰還住民や新住民の子どもたちの教育の受け皿となった。この施設は、認定こども園(預かり保育)、小学校、中学校、学童保育が一体となっており、0歳から15歳の子どもたちが共に学んでいる。
施設は、回遊性の高い遊び心にあふれたものとなっており、教室には原則としてドアや壁がなく、ラウンジには自由に演奏できる楽器も設置されるなど、そのユニークさは際立っている。チャイムや学校を囲うフェンスもなく、校内には、秘密基地になりそうな場所やトンネルになっている場所があらゆるところに存在。これは子どもたちが自由に自分だけのお気に入りスポットを作るためで、同じ空間を作らないよう工夫されている。これらの設計・デザインについては、多様な年齢の子どもたちの自然な関わりを引き出す意図的な環境空間をデザインに取り入れたからだそうだ。


教育・学習面については、最先端の教育として、「個別最適な学び」を実践している。学ばなければならないことを、個人の能力や学習能力に合わせて授業を進めていく。例えば、数学などその教科が得意な生徒は確認テストから行い、苦手な生徒はドリルから進め、さらには集中できる場所へ移動してひとりで黙々とこなす子もいるという。チャイムもないが、生徒は時刻通りに集まり、得意な生徒は苦手な生徒に教えるなど、自然な交流が増え「ついていけないから退屈な授業」授業が存在しない。
これらは、「公教育の可能性を信じて子どもたち一人ひとりが輝ける夢の学校づくりにチャレンジする」との同校の理念が反映されたもので、この環境に惹かれた教育移住による転⼊学も多く、 移住を検討している家族の⾒学や教育関係者などの視察も絶えないとのことで、この施設も新たな潮流づくりに大きく貢献している。
復興のシンボル「夏いちご」を栽培する「株式会社ネクサスファームおおくま」

「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」の解除を見越して2018年7月に創業した株式会社ネクサスファームおおくま(農業法人)は、高度に機械化された栽培技術によりイチゴの通年栽培、出荷を可能とし、地域住民の雇用創出にも大きく貢献している。
ネクサスファームおおくまは、町の伝統産業である農業を新たなビジネスとして確立し、復興をアピールして雇用を生み出すことで町民の帰還を促すために創業。年間を通して⼤規模ないちごの栽培が⾏われていて、最新の技術を活⽤したハウス内の栽培⼯場は東北最⼤級という。「おおくまベリー」のブランド名のオリジナル品種は、卸し先の飲食店からも大きな支持を獲得。このブランドを活用したいちご菓子やジャムなども多数ラインナップされており、同社の収益増加につなげている。
.jpeg)
.jpeg)
2024年12月オープン「産業交流施設」
2024年12月には大野町西側地区に「産業交流施設」が開設された。震災前には商店街が連なっていたこの地区の復興を先導するべく、地元産業の需要の受け皿、ビジネスマッチングや人材・企業等の交流促進、長期にわたり新たな産業を生み出す場の受け皿となるべく、地上3階の建物内には貸事務所、貸会議室、コワーキングスペース、多目的スペースなどで構成される。施設前には芝生広場も新設され、祭りやコンサートなど町民参加型イベントも開催される予定。駐車場も広大なスペースが確保され、遠方からの来所ニーズにも対応している。地域では区画整理も進行中で、駅西側地区一帯は将来的には病院や商業施設が立地する大熊町の中心街となることが計画されているという。
いかがだっただろうか。大熊町では、産業、農業、教育、新たな交流施設など、新しいにぎわいを⽣み出すための動きが加速している。震災から14年を迎え、転換期とも言えるこの町は地域創生の新たな形としても注目だ。