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ウイルスバスター創業者の次なる挑戦──花粉症を「社会課題」と捉え、デジタル漢方で市場に切り込む

セキュリティソフト「ウイルスバスター」で知られるトレンドマイクロ社を創業し、IT業界に大きな足跡を残したスティーブ・チャン氏。

現在、全く異なる領域で新たな事業を立ち上げている。ターゲットは「花粉症市場」だ。薬でもなく、医療機器でもない。東洋医学の思想をデジタル化した”デジタル漢方”という独自のアプローチで、日本をはじめアジアで深刻な社会問題となっているアレルギー性鼻炎の課題解決に乗り出している。

CEOを退任後、「人の可能性を引き出す」非営利の世界へ

チャン氏は2005年にトレンドマイクロのCEOを退任。その後、「人間の可能性を最大限に引き出す」ことを目指して非営利活動の世界へと転身し、台湾にミンイーファウンデーションを設立した。

その転身のきっかけのひとつが、自身の花粉症体験だった。「春の株主総会の時期は症状がひどく、秘書がティッシュを2箱も用意してくれていたほど。このように生活の質が下がることを肌で感じてきたので、同じように苦しんでいる方を助けたいと思うようになった」
とチャン氏は語る。経営者として多忙を極める現場で、花粉症が業務パフォーマンスに直結する問題だと痛感していたのだろう。

チャン氏は自身もアレルギー症状に悩まされていたが、東洋医学の経絡(けいらく)アプローチを使ったプログラムを通じて症状の改善を実感。それをきっかけに2017年にチームを結成し、関連研究を本格的にスタートさせた。
コンピューターウイルスから人を守るソフトウェアを生み出したその発想力が、今度は花粉症対策へと向かっている。

東洋医学をデジタルに実装、スマホで試せるセルフケア

チャン氏が率いる特定非営利活動法人ミンイーが展開するサービスが、デジタル漢方サービス『My Relief(マイリリーフ)』だ。

東洋医学における「経絡」や「気血(きけつ)」の概念をプログラムに落とし込み、スマートフォンの画面上に表示される特殊なグラフィックスに指を触れることで、花粉などによる鼻・目・喉の不快感にアプローチするという仕組みだ。1セッションの所要時間はわずか3分45秒。完全無料で提供されており、LINEアカウントを通じて利用できる。

薬を使わないため副作用がなく、スマホひとつで試せることから、妊婦や子どもにも使えるセルフケアとして注目を集めている。薬を飲むことが難しい時期はもちろん、家事や育児に影響を出さないことが、新たな選択肢となっている。

花粉症は健康問題ではなく「生産性損失」

ミンイーはMy ReliefのLINEアカウント登録者4,566名を対象にした調査を実施。その結果、花粉症は単なる個人の健康問題ではなく、「生産性を奪う社会課題」とも捉えることができる深刻な実態が浮き彫りになった。

まず規模感として、花粉症が日常生活になんらかの支障をもたらしていると感じている人は97%にのぼり、そのうち「非常に感じる」と答えた人は64%に達した。

ほぼ全員が何らかの影響を受けているという事実は、花粉症が季節性の個人的不調ではなく、社会全体に広がる慢性的なコスト要因であることを示している。

なかでも注目すべきは、症状の影響として最も深刻に受け止められているのが、「身体的症状」ではなく「パフォーマンス面」であるという点だ。花粉症でつらい影響として「仕事や家事への集中力の低下」を挙げた人は76%超で最多となり、過半数の人が「睡眠の質の低下」を心配していると答えた。

つまり、花粉症の真のダメージは「鼻水が出る」ことではなく、仕事や家事での思考力・判断力の低下にある。ナレッジワーカーが大多数を占める現代の労働市場において、これは看過できない損失といえる。

既存の解決策への不満──73%が「薬を使いたくない」

市場環境を見ると、既存ソリューションへの不満が顕在化していることも、同サービスの参入機会を裏付けている。


「薬を積極的に使いたい」と答えた人はわずか27%にとどまり、73%は消極的という結果となった。その理由の筆頭は、「眠くなる・集中力が落ちる」という副作用への懸念で、唯一過半数の回答を集めた。「毎日使い続けることへの不安」や「体への負担が気になる」と答えた人もそれぞれ40%近くにのぼった。


集中力の低下を防ごうと薬を飲めば、今度は薬の副作用で集中力が落ちる──このジレンマは、薬では解決できていない根本的な課題を示している。

さらに、「毎年仕方なく我慢している」という回答が37%で最多となり、「正解が分からず迷っている」と合わせると50%にのぼった。

市場の半数が有効な解決策を見つけられていないという事実は、”デジタル漢方”の可能性が大きいことを意味する。

ユーザーが求めるのは「続けやすさ」と「負担の少なさ」

ユーザーが対策に求める条件については、「手軽さ・続けやすさ」が約70%で最多の支持を集め、体への負担や費用についても過半数が重視していると答えた。
スマホひとつで完結し、無料で、3分台で終わるというMy Reliefのプロダクト設計は、これらのニーズに正面から応えるものだ。サービスリリース以降、利用者はすでに15万人を突破している。 非営利・無料というモデルでこれだけの規模に達していることは、潜在需要の大きさを証明するデータとして読み取れる。

「次の問題を解く」シリアル・イノベーターの視点

サイバーセキュリティという当時まだ存在しなかった市場をゼロから切り開いたチャン氏が、退任後に選んだテーマが「花粉症」というのは一見意外に映る。しかし、「多くの人が困っているにもかかわらず、既存の方法では解決できていない課題を技術でブレイクスルーする」というアプローチは、トレンドマイクロ創業時とまったく同じ発想だ。15万人というユーザーベースと花粉症市場の巨大な未充足ニーズを踏まえれば、その動向はビジネス視点からも注視だ。